謎ゲーだった「AFRIKA」もいよいよ発売直前まで迫りました。
情報も色々と出揃いつつありますし、ここで改めて「AFRIKA」のゲーム性について書いておきたいと思います。

海外ではアクション性が強く、自由なゲームが好まれます。その代表的な作品がGTAシリーズだったりするのでしょう。しかしコンピュータゲーム内で「自由」を求めた結果がクライムアクションに向かいやすいのも事実です。国を問わず近代社会で生活する人間の感覚から考えても「自由=暴力」は成立しません。このあたりの方向性が許容されてしまう事自体がコンピュータゲームの一つの着地点である事の証明ですし、限界でもあるのでしょう。

「AFRIKA」においてプレイヤーは猟銃で野生動物を撃ったり、捕獲することは出来ません。許されている事はサファリを自由に移動して写真を撮影することだけで、そのための手段は潤沢に用意されています。このあたり、サファリで活動する一人の写真家と言う大前提の前に、近代社会のルールや制約を維持したままでゲームが設計されている事が判ります。

勿論、2008年東京の一企業を舞台にしたサラリーマンのゲームならば現実社会の制約下で面白いゲームを作る事は困難でしょう。その代り、当作品ではゲームの舞台をアフリカ・サファリに設定しているのです。アフリカ自然下の「生き物」としての絶対的なルールが存在し、それにプレイヤーキャラの人間としてのルールやモラルが混合して「AFRIKA」という一風変わった「自由なゲーム」が成立されているのです。

「ゲームなんだから動物を撃って何が悪いの?」という発想しか出来ない方には、「そういう方向性のゲームは他に幾らでも有りますよ」としか言いようがありません。そういう発想の人が好むであろうゲームハードならば一生遊びきれないほどの、そういうゲームソフトが発売されている訳です。

「AFRIKA」は日本のデベロッパが産み出した「自由なゲーム」に対する一つの回答に成りえるのか?実際にゲームを楽しんでから答えを出したいと思います。

公式サイト
AFRIKA

関連記事
【今週の1本】楽しみ方は無限大!? 謎多き『AFRIKA』の全貌がついに明らかに


AFRIKAAFRIKA


Amazonで詳しく見る
by G-Tools