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最近、ステマという言葉が話題になっていますのでつらつらと。

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今回雑記を書こうと思ったのはステマという行為自体の是非についてではありません。いわゆる「さくら」行為は私が子供の頃から耳にしていた言葉ですし、今更という感じではあります。

私はステマ以前の問題として「何故、他人の意見を簡単に受け入れているのか?」の方が気になって仕方ありません。外部から提示された意見や情報を鵜呑みにする事の危険性はステルスもオープンも関係ないと思うのです。

企業が発した情報は宣伝だから信用できないが、どこの誰かもわからない不特定多数の主観が飛び交う場での「多数意見」ならば信用できるといった考え方に至る事の方が不思議です。

不特定多数だろうと匿名だろうとtwitterだろうと、発した言葉には発言者の「意図」が含まれています。あくまでもSNSや掲示板等は情報の「トリガー」程度の認識で、後は自分で調べて自分で判断すれば問題は生じないと思うのは私だけでしょうか?

私も今までに購入して「これは失敗だったなぁ」というモノなんて幾らでもあります。でも、全て自分の意思で判断した結果ですから受け入れているだけです。

ゲームの感想記事でも悪い点ばかりを上げてしまうと「低評価」となりますが、全体的には「悪くない、結構楽しめた」タイトルは少なくありません。エンディングが良かったから「許容」してしまう作品だってあります。

このあたりを文章で表現する場合、自分自身の結論をしっかりと持っておかないと意図しない印象を与える可能性があります。思うような着地点に到達出来ずに没になった記事も数えきれず、「他人に言葉で考えを伝える事」は難しく、「言葉から他人の考えを読み取る事」も同様に難しいのです。

そして、ネットコミュニケーションは「言葉足らず」に陥りやすい上に、「結論だけ」が求められる傾向にあります。意見交換の場としてならともかく、情報収集の場に適切かどうかは各個人で判断するべきでしょう。