yama
最近、ここぞとばかりに「日本のゲーム云々」に関して色々な意見が飛び交っていますのでご紹介。今回はゲーム音楽作曲家・山岡晃氏の海外インタビュー記事です。





「日本のゲーム業界は限界かもしれない」:ゲーム作曲家の山岡晃さんが海外メディアに語る : Kotaku JAPAN


Edgeのインタビューを受けた山岡氏は、日本のゲーム業界のことを以下のように話しています。

「多分、私たちは限界に達してしまったのでしょう。それは認めなくてはなりません。思うに、海外文化を理解していない日本人は海外市場で売れる娯楽を作る事ができないでしょう。

ゲーム作りはサービスです。もし世界中のユーザーに目を向け、交流できなければ、もしくはしたいと思わなければ、彼らが望んでいる娯楽を提供することが可能だとは思えません。」

当たり前と言われればそうですが、ゲーム開発関係者も、ジャーナリストも、アナリストも「ゲーム業界内の人達」です。山岡氏は「僕は音楽担当だから~」と言ったスタンスですから気楽なものです。

GDC2012から火が付いている「日本のゲーム」論争についても、結局は「じゃあ、お前はどうなのよ?」という陰口を全く気にしない、良い意味でも悪い意味でも図太い関係者達の「自分を棚に上げた」屁理屈を読まされているだけです。例のインディーズゲーム制作者だって、市場を考えた作品作りとはさほど縁が無い訳ですから。

この手の話題で無視されるのがソフトハウスの規模です。

昨今の「日本のゲーム論争」は、これら中小ソフトハウスの国内市場に合わせたゲーム作りも全部含めて扱き下ろしている事が問題だと考えています。確かに大手は欧米市場を無視する事は出来ないでしょうが、多くの中小ソフトハウスは日本国内だけを見据えた作品作りでもやっていけるはずです。

市場に合わせたゲームビジネスを展開して批判されるという事は、即ち「日本のゲームファン」そのものが批判されている訳です。もう少し穿つならば、「FPS/TPSをプレイしない日本のゲームファン」の存在が海外ゲーム関係者から批判されているだけなのです。

そんな、クダラナイ意見に振り回される事って馬鹿馬鹿しいですよね。

結局、彼らは「市場」しか見ていません。業界人としては当然?の見方なんでしょうが、「市場=ゲームファンの総意」ではありません。

日本の多種多様化したコンテンツ文化の中で、ゲームファンの趣味趣向は幅広く細分化されてしまいました。昔に比べてゲームが売れなくなったのは「ゲームもコンテンツの一つ」という広がり方をしているからなのでしょう。昔ながらの「純粋なゲームファン」は確実に減少しつつあります。

問題は「日本のゲーム」が駄目なのかどうか?ではありません。「日本のゲーム市場」が世界的に見ても儲からない市場になりつつあるという事なのです。