安全靴








反応
鳶職の本で読んだ話。昔の著者がイキッて安全帯を固定せずに高所作業していたら、いきなり先輩に突き落とされた。もう死んだと思ったらいつの間にか安全帯が固定されていて、先輩が笑って「よかったのう、安全帯があって」。以後は必ず固定するようになったとか。

そのおやっさんは正しい。人の生き死には圧倒的な現実だもの。安全教育に限って言えば暴力的でも容認する。生き死にの問題はそうでないと覚えないし、真剣に向き合えるものではない。

おやっさんには「安全の基本は絶対守る、守らせる。」という意識があったんだが、ほかの人にはその意識が薄かったんでしょうね。「割れ窓理論」と呼ばれている現象です。

ちょっとぐらいいいや、でひどい目に合う確率は万に一つしかない。 それを一万人やるから事故が出るんだよ、って現場仕事のおっちゃんが言ってました。

今の時代、いいこととは思いませんが、真剣に叱ってくれた先輩方のおかげで今があることを感謝してますが、行き過ぎの感がありました。やらないけど、やられても私は案外平気です。

おやっさんの不器用さに乾杯。

いや、これ、ダメな典型ですよ
人依存なセーフティとかシステムなんて絶対続かない
「雷おやじの小言」を常に心の内に持っておく!
見られていなくても、手を抜けば怒鳴られる!
そんな気持ちがないと学んだことが無駄になる。

この事例のおやっさんは常に安全の注意喚起してくれてたってだけで常に危機意識を持つ人がいるかどうかってことと、体験しないと覚えないってのはニュアンスが違うような

古いやり方だし、真の教育とは違うけど、とりあえずの安全には一番効果があるのも事実なんだよなぁ。どうでもいいけど、以前の職場では某メーカーさんと安全靴の企画をしたことがあります(笑)結局商品化されなかったけど。