CSとソシャゲ






群雄割拠のゲーム業界でクリエイターはどう生きるべきか──『ダンガンロンパ』小高和剛×『Ever17』打越鋼太郎が、その胸中を語る

──あるいは、『ダンガンロンパ』での“「言葉を撃つ」というアクション”って、ゲーム表現に慣れてない感覚からすると、実は意味不明に感じるものだと思います。

小高氏:
 あれも賛否両論でしたけどね(笑)。それで言うと、あの演出もそうですが「ゲームだったら許されること」は、実はけっこうあるんですよ。
 簡単な例でいうと、ゲームでは会話をしているときに相手の顔の表情に動きがなくても別に構わないですよね。最近の『Marvel’s Spider-Man』や『ゴッド・オブ・ウォー』でさえもそうなっていますが。でも、あれは漫画や映画では基本的に許されないことだと思います。

 その意味で、ゲームって、他業種で長くやってきた人であればあるほど、参入がかなり難しい分野だと思うんですよね。やっぱり、ゲームの感覚値がわかっていない小説家やラノベ作家が書くシナリオには、けっこう手を入れて直さなきゃいけないというのは、経験として感じるところでもあるんです。

──特にRPGにおけるテキストは、かなり“端折って書かれて”いますよね。それがあまりに自然すぎて、ゲームをするほとんどの人は、意識すらしなくて済んでいると思うのですが。

小高氏:
 その意味では、ゲームはかなり能動的なコンテンツなので、けっこうユーザーとの強い信頼関係のもとで成り立っているんですよね。
 映画の例になってしまいますが、たとえば『カメラを止めるな!』のギミックって「映画館で一度見はじめたら、最後まで見てくれる」という信頼のもとに成り立っているわけじゃないですか。

ゲームも、プレイヤーが能動的であるがゆえに、そうした信頼感のもとでかなり自由に表現を乗せることができるコンテンツだと常に感じますね。

──特にコンシューマーゲームはそうですよね。その文脈であえて言うのであれば、スマホゲームは「離脱を防ぐ」という目的が大きな制約となって、クリエイティブの幅がかなり狭まらざるを得ない。

小高氏:
 スマホゲームに関しては、最初に「ゲーム」と言わない方がよかったんじゃないかと、個人的には思っていて。実はかなり別物だと思うのに、お互いのユーザーがヘンに意識しすぎているきらいがあると思うんです。特に、コンシューマーが好きな人が必要以上にソーシャルゲームを憎む……みたいな。
 スマホゲームは、自分の中ではコンシューマーとは別のものとして、むしろ“信頼関係を使わない表現に長けたもの”だと思っていますね。


昔からのCSユーザでそう思っている人はいるだろうね。ただソシャゲ派はもうCSは興味ないんじゃないかな・・・という印象。マジョリティはマイノリティの事をいちいち気にしていない。