
「盗んだバイクで走り出す」に熱狂していた若者
「盗んだバイクで走り出す」「夜の校舎窓ガラス壊して回った」
言わずもがな尾崎豊の歌詞の一部である。
今の子供たちにこんな言葉を言ったらどういう反応をされるだろうか。
大半は見向きもしないだろう。
床に擦り付けた唐揚げを揚げるカラオケ屋と何が違うの、とすら思うのかもしれない。
私自身世代ではないので、たった数十年前、今の現役世代が若者だった頃に熱狂していたことに衝撃を受ける。
主張するのは結構だけど、一線を超えたら終わりだ。実力行使に出た時点で何の説得力もなくなってしまう。相手が何をしてこようと、こちらまで相手と同じ土俵に上がる必要はない。
かつての若者たちが今、そんな時代もあったねと話せているならいいのだが、精神が心に宿っているのだとすれば恐ろしさを感じる。
反応
昔と今では時代背景が全く違う 同じ価値観で語ることはできないと思うよ
高校の頃通学用の自転車盗まれて大変難儀したんであの歌は昔から大嫌いだよ
主題は「自由」であり、学校のガラスを壊したり盗んだバイクで走ることで 自由になれた「気がした」という話でしょ。
盗んだバイクで走り出した先は自由になれた「気がした」だけだし、『卒業』だって結局は上っ面な逸脱の先にある虚しさこそを歌ってるんだけど、キャッチーな片言隻句ばかり取り上げられ続けるのよね
尾崎豊と同じ65年生まれだけど、中学時代に校内暴力の嵐がありその反動で高校時代は厳しい管理教育が流行り始めて閉塞感が強かったんだよ。臭い歌詞だと思ったけど違和感はなかったな
バカッターと尾崎は同じじゃないかという問題提議。尾崎はヤンキーではない格好でヤンキーの心を歌ったが、じっさいの実行部隊はヤンキー。バカッターの気持ちを代弁できたのが、尾崎に相当するね。
唐揚げを床にこすりだす~(盗んだバイクで走り出すのリズムで)
尾崎はあんまり好きじゃなかったけど、ボウイは大好きだった。今でもEchoで定期的に流している。
