残念
















理解されない理由は、「不快な表現があり得る」という言葉を「性差別表現をしてもいい」とイコールで結んでる事に尽きると思います。 「不快な表現」はこの場合「多くの読者は問題視しないけど個人やごく少数が問題視する表現」を想定していて、明らかな性差別表現を意図する言葉ではありません。
元々のツイートはある女性個人へのリプですが、話の流れで男と女という言葉を使いすぎたのが誤解を招く原因になったと反省しています。「男女問わずどんなに配慮して描いても表現を世に出したら誰かが傷つく可能性はあり得る」という事です。

彼方のアストラという作品は女性にも子供にも読んでほしいと思って描きましたが、元ツイの女性は、ヒロインが自分の胸が大きい事に無自覚だというシーンを残念に感じたそうで、僕としてはそれが予想外だったので例の発言に繋がりました。

そういう風に受け取る人もいたのかと申し訳なくも思いましたが、じゃあ僕は今後同じようなシーンを自粛するべきだろうか?どこまで少数意見を汲み取るべきで、どこからが性差別になるのか。 僕の疑問は献血ポスターの時から一貫して「性差別表現は女性の中でも答えに幅がありすぎる」という一点です。

僕の考えは「考えて描いても誰がどこで不快に思うか分からない。多勢の声なら届くし編集から指摘も入るし時代でガイドラインも変わる。でも少数の声は届かないしすぐには変わらないので、傷ついたら読むのをおすすめしません」に至りました。この考えは「性差別を容認してる」事になるのでしょうか。

ターゲットの優先度を少年に定めてるのも事実です。でもなぜそれで女性を「切り捨てた」事になるのでしょう。読んでくれるなら老若男女大歓迎です。でも老若男女の好みが違うのは明らかで、全方位の意見を取り入れるのは自爆行為です。一度でも漫画を描けばわかります。話ムチャクチャになりますから

漫画は読者の顔を想像出来なければ描けないんです。 でもそれと女性の事を考えてないはイコールではないです。女性が不快に感じるのは少年漫画だからしょうがないとも思っていません。読んでほしくて考えて描いてますから。商売として優先度がある事は切り捨てる事にも差別にもならないはずです。

長くなってしまいました。もう黙ります。 再開時期はわかりません。元々アストラの宣伝のために始めたアカウントなので畳むには良い時期かもしれないです。 近々打ち上げがあるのでその様子をツイートしたら終わりにするかもです。続けるかもしれないけど、一応その辺は未定ということで。では。

反応
篠原健太の炎上の件で、やたら欧米では北米ではとか言ってるフェミアカウントがあるけど、そもそも欧米、北米の価値基準が正しいって根拠はどこにあんだか。


最近特にもやもやするこの問題。差別と区別の分かる大人でありたい。篠原健太の次回作に期待しております。

ついに篠原健太もおフェミに絡まれる時代になったか

フェミ擁護のためにあえて書いてないと思うけど、やっぱり #ツイフェミ #まなざし村 界隈と関わって時間取られるようになったから、やめたんだろうなと思う

篠原健太がなんでこの前炎上したのかわからない。フェミ頭おかしすぎて怖い
クルクルパーと関わるとこうなるんや。