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「観光客が来なくなればいい」世界から注目される京都・祇園の本音 - ライブドアニュース

先日とあるニュースが話題になった。芸妓・舞妓が行き交う花街として有名な祇園で、地元自治組織が「私道での撮影を禁止」という看板を設置することになったのだ。むろん観光客に向けた警告である(写真1:祇園町南側地区協議会 提供)。

 あまり知られていないことだが、祇園の界隈というのはほとんど私有地でありメインストリート以外の細い路地も多くは私道だ。公道では写真禁止などとはいえないが私有地ならば、ということで今回の「私道での撮影禁止」が掲げられることになったのである。

 このような報道だけを見ると地元の人々が「マナーを守って」と観光客に呼びかけているように見える。しかし、この看板を立てた地元の本音はどうやら少しちがうようだ。

 祇園の本音は、「これをきっかけに観光客が来なくなればいい」である。

「よそは観光客に来てほしいけどマナーは守って欲しいと思っているのでしょうけど、うちはちがいます。そもそも観光客に来て欲しくないんです」

 このように話す地元自治組織の幹部は「祇園は観光地ではないのです」と、何度も強調した。いまや祇園ではカメラを携えて世界中から集まる観光客が絶えることがない。そのため、とくに地元以外の人間からは祇園という街は観光地だと思われていることも多い。しかし、これは大きな間違いで、もっと言えば、完全なる「事故」なのだ。

花街・祇園は、同じジャパネスクな景観といえど、たとえば古風な町並みを再現したおかげ横丁のような観光地とはまったく性格のことなる街である。

 すべての店がそうではないとはいえ、そもそもは格式の高さと紹介制によって安全とプライバシーを守り、こっそり「お忍び」でやってくる「お偉いさん」にも安心して遊んでもらえるという「一見(いちげん)さんお断り」文化を特色とした街である。そんな場所に観光客が押し寄せると何が起こるのか。考えてみればすぐに分かることだが、なじみの客足は遠のくばかりである。

 通りすがりの観光客はある意味で「一見さん」の最たる存在であり、花街としての祇園にとって客に成り得ない。逆にもし観光客でも気軽に利用できるようなカフェや土産物店に祇園が埋め尽くされるようなことになれば、それはもはや花街ではなくなってしまう。もちろん、舞妓・芸妓がそこにいる意味もなくなってしまうのである。

反応
昔の花街じゃないが、
祇園の入り口に通用門を作り入場料をとれば良い。
特定のお店のみ舞妓さんが行くことにしてもしそのお店を利用した場合はお店から証明印を捺印したら通用門で入場料の返金があるようにすれば良い気がする

何が良くて何が駄目なのかを、外国人観光客の呼び込みに力を入れている政府も積極的に広報した方が良い。また、ある程度の制限を設けることは致し方ないことだと思う。伝統ある古き良き街の秩序が壊されない事を期待する。

祇園ではありませんがとある神社は巫女さんや社務所の写真撮影が禁止されています。

京都は特に、地元市民よりも観光客の優先順位が上と考えている様に感じます。日本人、外国人にかかわらず観光客が増え、暮らしにくさは日々感じるのに、それによるメリットを感じれていないのは両者にとって宜しくない事であると感じます。

その地域は完全有料にしたらいいかもね。本来のお客さんは別として。