FF7 リメイク






一般誌の「FFVII REMAKE」“落胆評論”は、なぜまったく読む価値がないのか - GAME Watch

先日、全世界累計販売本数の350万本突破が発表されたプレイステーション 4用RPG「FINAL FANTASY VII REMAKE」。話題作としてもヒット作としても間違いなく2020年のトップに入る1本だが、こうしたビッグタイトルになるほど見かけるようになるのが一般誌による「落胆した」、「失望した」といった“逆張り”のコラムである。

 内容に納得感のあるものならまだしも、そのほとんどが「プレイしていないだろう」と思うものばかり。以前から、なぜか一般誌だけで起こる不思議な現象なのだが、今回の「FFVII REMAKE」に関する“落胆コラム”は特にわかりやすく「ちゃんとプレイしていたらその感想は出てこないはず」という内容に終始している。

分作は本当に落胆するポイントなのか?
 たとえば、コラムにあるのは「原作にあたる『FINAL FANTASY VII』を分割して発売する切り売り商法だ」という主張だ。「FFVII REMAKE」はその名の通り「FFVII」のリメイクなのだから、1本で完結させないとおかしい。ましてや、分作なのにフルプライスで売り出すのはいかがのものか。その姿勢に我々は落胆している、というわけである。

 確かに、「FFVII REMAKE」は「FFVII」の内容を切り分け、ストーリーラインにおける「ミッドガル脱出」までを描いたタイトルだ。もともとは1本だった作品を分割しているのだから事実としては間違っていないが、実際に触れてみると「FFVII REMAKE」の本当のコンセプトは“「FFVII」世界を濃密に描き直すこと”とすぐにわかると思う。

 クラウドをはじめ、ティファやエアリス、バレットといったキャラクターたちの息遣いや表情の細かい変化。追加されたセリフやエピソードによって、グッと理解が深まるアバランチメンバーの心理。埃っぽいスラム街の寂れ具合と、完璧に整備された神羅ビルとのコントラスト。あの頃、心をときめかせた「FFVII」の世界やキャラクターたちが、「ここまでリアルに迫ってくるのか」というほどの濃度で描かれ続ける。
衣装、距離感、息遣い……。原作では感じられなかったニュアンスが濃密に詰まっている

 少なくとも「FFVII」ファンを自覚し、「FFVII REMAKE」を“ちゃんとプレイ”したのであれば、そちらの感動が真っ先に来るはずではないだろうか。「FFVII REMAKE」に触れ、本作の濃度をしっかり受け取ったプレーヤーなら、分作という選択は決して間違いではないと感じられるはずだ。

 「指輪物語」の映画三部作、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズを「切り売り商法だ」と怒る人がいないように(いや、いるのか?)、どちらかというと、分作せざるを得ないほど、濃密に濃密に「FFVII」を再構成していく作品が「FFVII REMAKE」なのだろうと筆者は理解している。

 このポイントを踏まえずに分作がどうのと言ってしまうのは、映画を見ないでレビューし、料理を食べずに語っているのと同じではないだろうか。


ほかの内容はともかく、分作に関しては一言。
ライターの年齢は知らんけど、FF7オリジナルをプレイした人は若くても30代、思い入れがあるボリュームゾーンは40代。老眼が気になってくる年齢だし、スクエニは1作目に5年かけ、今後のスケジュールや展開を一切発表しない点に不誠実さを感じている人もいるやろうに。分作自体を否定する気はない。

脳天気に全肯定できるのは自分が今後いつまでも若くて目も手も今のように動き続けると思っている奴だと思ってる。