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ゲームファンとの会合等で時折話題に上るのが「ゲームハード論争は何故起こるのか?」という答えが出ないようなテーマです。今回は雑記記事として「ゲームハード論争」も含めた「趣味論争」について私なりの考えをつらつらと書いてみようかと。






※「趣味論争」なんぞ今に始まったことではない
この手の「趣味論争」を取り上げる際、「そんな論争は大昔から繰り返されている」という短絡的な結論に至る場合があります。英国であれば愛するサッカークラブや紅茶の入れ方で昔から論争が絶えないというジョークじみた話もありますし、同じ趣味を持つ仲間同士が集まれば細かな趣向の違いで言い争いになる事は珍しくありません。

確かにそう言う意味では「今も昔も変わらない」のでしょうが、ここ10年の匿名掲示板を中心とした「趣味論争」が異質で異常だと感じるのは理由があります。

※何故好きなものを主張しないのか
元々の「趣味論争」は「お互いに好きなものを主張しあう」事から始まるものでした。俺はAが好き、私はBが好き。好きなものが異なる双方が良さを主張しあう内に、埒があかなくなって他方を攻撃するという流れもまた自然なものでしょう。

現代の「趣味論争」が過去と全く異なる点は「自分が好きなものを主張せず、批判だけする」人が増えたことです。匿名の場では自己のアイデンティティを確立する必要もありませんし、都合が悪くなればそのまま逃げてしまえば良いのです。これでは議論が成り立つはずがありません。

※何故順列を付けたがるのか
もう一つの特徴は、順列や勝ち負けに異常なまでに拘り、売上げが悪いコンテンツ等を見下したコメントが目立つことです。これらの言動が自己のアイデンティティを明らかにしない状態で投じられますから質が悪い。

例えば、阪神ファンが巨人戦で勝った際に相手ファンに向かって「Yeah!!」とするのは程度問題ではあるものの許容範囲のコミュニケーションだと私は考えていますが、とぼとぼと帰路に向かう敗戦チームのファンに向かって無関係の通行人が「Yeah!!」とヤジを飛ばすのはちょっと違います。

現代の「趣味論争」におけるもう一つの問題点は、前述したような「ヤジを飛ばす無関係な通行人」が増えてしまった事です。

※何故不毛で幼稚な「趣味論争」ばかりになったのか
これらの特徴から、匿名掲示板に徘徊する不毛で幼稚なやりとりを繰り返す層が朧気ながら見えてきます。「競争社会の敗者」「未来に希望を持てない世代」「心の拠り所が必要だけど探し方が判らない人」といったところでしょうか。

私が子供の頃は高度成長期の余韻も残っていた豊かで未来に希望が持てる時代でした。まぁ就職するとバブルは弾けて突き落とされてしまうのですが、豊かな時代に教育を受けて育った私たちの世代まではなんだかんだで逞しく、自己のアイデンティティに自信を持った人が多かったと思います。

でも、今の若者達は未来に夢や希望を持てない状況で競争世界に身を晒している訳で、若くても精神的に疲弊したままで大人になろうとしています。そのはけ口の一つが「自分が傷つかない状況で他を見下す」行為なのでしょう。

※「無宗教」を根付かせた世代
この状況に対する解決策はあるのでしょうか?

実現可能かどうかは別として、「彼らに宗教を与える」事が状況を緩和する方法の一つだと私は考えています。今の若者達が宗教に対する偏見が無い教育を受けていたならば「心の拠り所」が見つかったかも知れませんし、ネット上の不毛な論争等は減っているかも知れません。

しかし日本は「無宗教」者が多くを占める国です。

このあたりは我々までの世代の責任なのでしょう。第二次世界大戦での敗戦後、日本人はがむしゃらに働き日本を豊かにしてきました。「高度成長期」に高揚し前を向き続ける当時の日本人にとって「心の拠り所」の需要は低く、自然と「宗教=胡散臭いもの」というある意味誤解をはらんだ認識を持ったまま現代に至っている訳です。

あとは社会人になって厳しさを知れば正常な人間に戻る、という楽観的な見方もありますが、表向きだけで性根は変わらないですからねぇ。それに就職できるかどうかも怪しい。



という事で「趣味論争」について軽く書いてみましたが、やはり根本的な解決は絶望かも知れませんね。これも時代の流れと許容しなければいけないのかも・・・と半ば諦めつつも素晴らしいオッサンは好きなことをして余生を楽しく過ごすとしますか。もう若者の時代だ(笑)